みなさんこんにちは、ふぃーどです。今は今年です。今というと2020年12月で、今年は2020年ですから、今は今年といって差し支えありません。私はどんな年であっても、今の今年が好きです。今の今年は、今しかないからです。

 なんと今日は年末なので、今の今年はもうすぐ終わってしまいます。そう、今年は、いつか終わるんです。当たり前に過ごしている今年も終わってしまう。それってなんて寂しいことなんでしょう。

 今年というのは、今の年ということです。ですから今は今年です。今が今年でない、ということはありません。逆に今年が今である、というのもなんだかおかしい気がします。今以外の今年もありますから。
 ここで年とは何か、と考えてみると、これは地球の公転周期に由来する時間の区切りの一つで、季節の変化や夜空の星座の移り変わりはこの年という区切りの中で一巡することになります。今は常に今年なんですが、今年の春は今ではないことがあるし、今年のいて座はもう見えません。今年にも濃淡があるということです。皆さんの今までの今年はどんな年でしたか?

 おっと、今までの今年? これは少し考える必要がありそうです。今は12月ですから、今の私たちは今年の今までを過ごしてきたことに疑いありませんが、私たちの今までは今年だけではありません。今の今年はまさにこの年のことですが、これまでも私たちは生きた年数分の今年を過ごしてきたことになります。今の今年の前の今年もあれば、その前にも今年はあります。視点を過去に移せば、その時々の今年があったはずで、私たちの背後には無数の今年が存在します。
 そして、私たちは気づかないうちにそれを今年と呼ばなくなっていくんでしょう。なぜか? 今年はいつか終わるからです。365.2422日をかけて地球が一つのトラックを回り切った時、私たちの今年は終わり、今の今年は過去の今年になります。

 今の今年が過去の今年になっていく。その喪失の過程を、あなたは許せますか?

 ところで今ってなんでしょう。今というのは同じ時間軸を共有する我々の間に成立する概念であり、時間軸上で(おおむね)等速に動く点です。私たちが同じ時間の上に生きているという仮定があるから、今の今年といえば共通の今の今年ですし、今の今年以外の過去の今年や未来の今年が今の今年になることはないのです。

 ただし、これは私たち人間の主観です。時間軸共有の前提を廃し、思考を主観的な時間から解き放ったとき、今という点は無数に散らばり、同時に今の今年は我々の今から解放されます。私たちがあんなにも愛してやまなかった今の今年が、無限遠の彼方、時間軸の果てにまで広がって、燦然と輝くことができます。

 もう、皆さんもお気づきでしょう。

 今の今年をたった独りにし、終わらせていたのは、他でもない私たちの思い込みなんです。

 これで今年は終わりません。今の今年は、私たちの身体が朽ち果て、地球の文明が廃れ去っても、たくさんの今年たちの中で、今の今年として煌めき続けます。

 私たちは負けたんです。今まで勝手に終わらせてきた、今年に。